アトランタオリンピック代表キャプテンで、元日本代表の前園真聖が引退 | 蹴球会議(レッズサポの独り言)

アトランタオリンピック代表キャプテンで、元日本代表の前園真聖が引退

前園引退。

この4文字を見るだけで、一つの時代が終わりを告げたと感じるのは私だけだろうか。

アトランタオリンピックであのブラジルを破り、マイアミの奇跡と言われた日本勝利の立役者がピッチを去った。


前園は、小学校2年のときに、地元の東郷サッカー少年団でサッカーを始めたが、その後進学した中学校にはサッカー部がなく、陸上部兼サッカー同好会に所属して、ひたすら腕(足!?)を磨いた。

高校は、全国でも強豪の鹿児島実業に進学し、なんと1年からレギュラーとして活躍。

2年次には、高校選手権準優勝も経験した。

そしてJリーグ開幕前の1992年、卒業と同時に、鳴り物入りで横浜フリューゲルスに入団。

Jリーグ開幕当初からレギュラーとして活躍し、94年には、当時代表監督だったファルカンに見出され、若干二十歳でA代表にも選出されるなど、将来が嘱望された攻撃的MFである。


しかし、96年にJリーグベストイレブンに選ばれた後、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)に移籍してからは、ベンチを温める機会が多くなった。

そのため、シーズン途中でブラジルのサントスFCに移籍するが、ここでも思うような出場機会に恵まれず、ゴイアスFC(ブラジル)に移籍を決意。

その後は、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ1969、安養LG(韓国)、仁川ユナイテッドFC(韓国)と、日本、韓国を渡り歩いた。

そして、今年はセルビア・モンテネグロのOFKベオグラードのトライアウト(入団テスト)を受けていたが、1ヶ月のテスト期間の間に良い返事がもらえず、自ら引退を決意した。

まだ31歳だが、これからは指導者や解説者として、後輩の指導にあたっていくとのこと。

ゾノのドリブルを引き継いだ、「ゾノ二世」の出現が待ち遠しい。




しかし、あれだけの成績を残した前園が、なぜ消えていってしまったのか。

私が思うに、元ガンバ大阪の磯貝や、元ヴェルディ川崎の石塚も、前園と理由を同じくして、消えていった選手だと思う。

三人とも、オフェンシブミッドフィルダーの選手で、いわゆるトップ下のポジションを得意とするプレイヤーだ。

彼らに足りなかったものとはなんなのだろうか。




現代サッカーは、前線と最終ラインをコンパクトに保ったプレッシングと、システマチックに固められたディフェンスが最大の特長で、攻撃側のパススペースは限定され、なかなか思うようなスルーパスが出せなくなっている。

おまけに、パスが出せないからといってドリブルをすれば、たちまち相手選手に囲まれてボールを失ってしまうのだ。

そのため、攻撃する側は、比較的プレッシングの弱い両サイドからの攻撃を強いられることになり、サイドからのアタッキングサッカーが主流となっていったというわけである。

その影響で、ドリブルやスルーパスを仕事とするトップ下というポジションが影を薄め、代わりにセントラルミッドフィルダーやレジスタと呼ばれる、パスを両サイドに散らすタイプの中盤が好まれるようになった。

前園が、自分の居場所に苦しんだ原因がこれである。

磯貝や石塚も同様だと私は思う。


もちろん、トップ下というポジションは今尚健在で、世界的に見ても、ロナウジーニョやジダン、カカやルイ・コスタなど、そうそうたる顔ぶれが並んでいるのは、皆さんもご存知の通り。

だが、トップ下というポジションは、昔に比べるとサイドに流れることが多くなり、そこから攻撃を組み立てるのが一般的となっているのも事実だ。

ジダンもロナウジーニョもルイ・コスタも、左サイドに流れる場合が非常に多いし、日本代表で言えば中田英寿もそのタイプだ。

右利きの選手は、総じて左サイドに流れるタイプの選手が多いようだが、これは、左サイドで右足を使ってボールを持つと、フィールド全体が見やすくなる上に、センタリングはおろか、シュートもスルーパスまでもが狙えるようになるからだろう。
彼らは、自分のプレーが一番輝く場所を知っているのである。


では、前園にはそれがないのか、と言われれば、そんなことはない。

彼のドリブルは、アトランタオリンピックでも十分通用していた。

優勝したナイジェリア、3位だったブラジルと同グループに入った日本だったが、世界の強豪国相手に、2勝1敗と勝ち点で並び、惜しくも得失点差争いで敗れたサムライたちの中心はまさしく前園だった。

果敢にドリブルで突っかけていくその姿は、日本人の技術もここまで上がったのかと感動したほどだ。


前園が消えた理由は技術ではない。

ジダンや中田にあって、前園にないもの。

それは、守備意識だろう。

プレッシングサッカーが主流の現代サッカーにおいて、守備をしない選手は使い物にならない。

フィールド全体を均等に守るには、選手の誰一人として、ディフェンスをさぼってはいけないのだ。

誰か一人が手を抜くと、鉄壁だった包囲網に小さなほころびができてしまう。

ほころびはやがて大きな穴となり、その穴は致命的な痛手を負うほどの大きさになるだろう。

例え天才的なボールテクニックを持った選手だとしても、ボールに触っていなければただのフィールドプレイヤーと同じである。

守備をさぼっても良いという理由はどこにもない。


下手くそでも良いのだ。

チームのために動き、チームのために守るのが、必要とされる選手なのだ。

今の日本代表で言えば、三都主が良い例である。

三都主は、守備は下手だが良く動く。

上下に長い距離をひたすら走り、時には最終ラインのカバーリングだってする。

あれだけ一生懸命守られては、監督もちょっとやそっとのミスでは代えられないだろう。

前園にはそれがなかった。

気づかなかったのか、直そうとしなかったのかはわからないが、もし指導者になるのであれば、守備ありきの指導をしてもらいたいものだ。